センバツ高校野球観戦の帰り道⑤ 2021.3.26

2021.3.30

 

院長みやもとです

チェックアウトまで

バッチリ寝て

スッキリ出発

波もなさそうで

どうしようかなと

考えて

三重県 四日市名物

トンテキを食べに

隆座 (たかくら)

12:30到着

30分ほど待って

もち

とんてき定食

ダブル

キャベツ

ライス

にんにく

すべて

普通と伝えたつもり

だったが

着席して程なく

(;゚Д゚)

斜め上から

品のいい

おじいちゃんと

おばあちゃんが

やってたので

まさかの展開

(@_@)

お味は

うんまい!

(^^)/

キャベツも

うんまい!

(^^♪

ご飯モッチモチ

赤だし お新香も

うんまい!

(*^-^*)

腹パンパンで帰路へ

 

富士山が美しい

(^^♪

指導50年「やるほど楽しい」

専大松戸・持丸監督

選抜高校野球

より引用

 第93回選抜高校野球大会の

第6日

1回戦最後となる25日に登場する

専大松戸(千葉)は初出場。

 

チームを率いる

持丸修一監督(72)は

高校野球指導50年の

ベテランで

専大松戸を含め4校を

甲子園に計9回導いた。

 

 

今大会の最年長監督は

「甲子園は

多くの人から注目を浴びて

成長させてもらえる場所。

 

選手たちには

甲子園をゴールと考えず

通過点にしてほしい」と語る。

 

 2月下旬

持丸監督は千葉県松戸市の

練習グラウンドで

ノックを受ける選手の動きを

見つめていた。

 

コーチが

内野に打ち上げたボールを

投手が落球した。

 

「おーい。ちょっと」と

ベンチ前に呼び出したのは

一塁手で

「なんでお前が

捕りに行かないんだ。

フライ捕るのは

 

自分の方が得意だろ」と

注意した。

持丸修一監督=千葉県松戸市で2021年2月2日、大西岳彦撮影
持丸修一監督

千葉県松戸市で2021年2月2日
大西岳彦撮影

常総学院では木内氏の後任

 

 21歳の大学時代に

母校の竜ケ崎一(茨城)で

コーチとなったことが

指導者としての始まり。

 

27歳で監督に就任し

1990、91年の

夏の甲子園に出場。

 

96年に藤代(同)に移り

2001年に

センバツ初出場を果たし

03年も出場した。

 

同県内で切磋琢磨した

常総学院(同)の

木内幸男元監督(20年死去)の

後任として

03年に同校の監督に就任。

 

05年センバツ

06、07年の

夏の甲子園で戦った。

 

 専大松戸には

08年に招かれた。

 

当時のチームは

県大会の初戦突破もままならず

持丸監督は

まず公式戦1勝を目標に定めて

指導を始め

15年夏に

甲子園初出場を果たした。

 

 「監督業は

やればやるほど楽しい。

 

野球をやめたいと思った日は

一日たりともない」と

言い切る。

 

教え子が

野球の指導者になったり

さまざまな分野で

活躍していたりする様子を

知ることが

一番の喜びという。

練習を見る専大松戸の持丸修一監督=千葉県松戸市で2021年2月3日、大西岳彦撮影
練習を見る
専大松戸の持丸修一監督

千葉県松戸市で2021年2月3日
大西岳彦撮影

野球するのは

監督ではなく子ども

 

 50年に及ぶ指導歴の中で

野球への考えや教え方は

変化した。

 

若い頃は

「チームを強くして

勝つことしか

考えていなかった」。

 

練習中は

「これをやれ、あれをやれ」と

命令するように

指導したという。

 

しかし

竜ケ崎一の監督だった

40歳のころ

先輩の指導者から

「試合で野球をするのは

監督ではなく子ども。

 

試合までに

部員をしっかりと育てることが

監督の役目」と言われ

指導法を改めた。

 

 古希を超えた監督は

野球を

「人が還ってきて

1点が入るスポーツ」と

表現する。

 

一人ではできず

ナインが互いを

思いやることの大切さを説く。

 

エラーをした部員と同じように

周りの部員も叱るのは

「周囲のことを考え

自然とカバーに入れる選手に

なってほしい」との

思いからだ。

 

野球を通じて

「社会に出た時に

必要なことを学んでほしい」と願い

9回目の甲子園に臨む。

 

【長沼辰哉】

引用終わり

今回の遠征も

様々な学びがありました

 

ちと

食べ過ぎだったかも

ですけど

(^_-)-☆