【62】〖お昼のつぶやき〗「教えない指導法」で開花した才能 川澄奈穂美
2021.9.30
院長 みやもとです
〖お昼のつぶやき〗
「教えない指導法」で開花した才能
川澄奈穂美
2011年7月17日。サッカーの日本女子代表“なでしこジャパン”は、ワールドカップ(W杯)決勝の舞台に立っていた。1ー1で迎えた延長前半14分、対戦相手である米国のエース、ワンバックに勝ち越しゴールを許すと、なでしこジャパンは窮地に追い込まれた。
その直後だった。1人の選手がベンチに駆け寄り、佐々木則夫監督に次のように進言した。
「わたしがサイドハーフ、(丸山)桂里奈さんがFW。ポジションを元に戻していいですか?」
この直前にポジション変更を指示していた佐々木監督は、いわば自分の采配に対する反対意見を選手から聞かされたわけだが、それでも静かにうなずいた。
「わかった。そうしよう」。そう短く伝えた佐々木監督も、実は同じことを考えていた。
「同点の場面と、1点追いかける場面では、選手に求める役割も変わる。ポジションの入れ替えを指示しようと思った矢先に、選手のほうから提案されたわけです」
佐々木監督は、遠慮なく自分の意見を伝えてきた背番号9、川澄奈穂美の姿を見送りながら、彼女と最初に出会った時のことを思い出していた。「やはり頼もしい選手だ」と。
佐々木監督が初めて川澄のプレーを間近で見たのは、06年のことだ。なでしこジャパンと、将来のなでしこジャパン候補生を集めた「なでしこチャレンジプロジェクト」との合同合宿が行われ、川澄はチャレンジプロジェクトの選手として、佐々木はなでしこジャパンのコーチとして参加していた。
「チャレンジ組」の大半は、代表レベルの高度なプレーを「教えてもらおう」とし、コーチの指示通りにプレーしようと必死だった。ただ、川澄だけは、プレーを諭され「わたしは今、こういう意図でプレーしたんです」と食い下がった。
「女子選手でこれだけはっきりと、理路整然と、意見を伝えられる選手は珍しい」。佐々木は後に監督に就任すると、迷わず川澄をなでしこジャパンに引き上げた。
W杯決勝は、延長後半に澤穂希のゴールで追いついたなでしこジャパンが、その後のPK戦も制した。初の世界一に輝いたその瞬間を、神奈川県大和市内のパブリックビューイング会場で見届けた1人の男性は、興奮を隠さず絶叫した。
「世界一のオヤジになったぞ!!!」
テレビでも新聞でも繰り返し紹介された、この雄たけびの主は川澄奈穂美の父、守弘さんだ。
■「教えない指導法」で開花した才能
世界一のオヤジは、いかにして世界一の娘を育てたか――。
体育教師の資格を持ちながら、あえて教員にならなかったという守弘さんは、本人の言葉を借りれば「教えない指導法」で娘の才能を育んだという。
「キックの蹴り方などの“型”を、大人が教える必要はないんです。大きなけがや事故につながりそうな危険な行為にだけ注意を与えれば、そのほかは子どもの自由にやらせればいい」
守弘さんは、奈穂美が幼稚園児だったころにサッカーボールを与えただけで、好きなように遊ばせていたという。それでも奈穂美は、小学校2年生で地元の少女チーム「林間SCレモンズ」に入団したころには、ボールの止め方、蹴り方をある程度身につけていた。誰かに矯正されることなく、自分の感覚で身に付けた技術は、現在のプレーにもつながる彼女の財産になった。
また、川澄家は毎年、家族でスキーに出掛けていた。奈穂美を初めてゲレンデに連れて行った時、守弘さんはやはり大けがをしないためのポイントだけを注意すると、目の前で一度滑ってみせた。あとは「さあ、やってごらん」の一言だけ。奈穂美が転倒しようと、とんでもない方向に行ってしまおうと、見守るのみだ。「教えない指導法」でスキーを習得した川澄は、後にスキー検定1級を取得している。なお、「体幹の強さ、バランスの良さは、スキーのおかげでもあるかな」とは、守弘さんの分析だ。
■スタミナ、自主性も自然と身につける
さらに、川澄の長所として頻繁に挙げられるのは、無尽蔵のスタミナだ。なでしこジャパンが時折実施する持久力テストでは、毎回ぶっちぎりでトップの成績をたたき出す。チームメートが顔をゆがめて続々と脱落してもなお、川澄だけはニコニコしながら走り続けている。「どうやってスタミナをつけたのか?」と本人に問うと、「思い当たるとすれば、母と走ったことぐらいかな」との答えが返ってきた。
川澄の母、千奈美さんも、守弘さん同様スポーツ愛好家で、ホノルルマラソンの完走経験もあるという。ひと月に200キロを走り込んだこともあるといい、その当時10歳前後だった奈穂美も一緒に走っていたそうだ。
「家の近くに約5キロのジョギングコースがあったんです。なーちゃん(奈穂美)は毎日、夕食前に私と一緒に走ったんです。スピードは大人の私と同じでしたよ」
川澄家の「教えない指導法」は、娘の自主性を育むのにも大いに役立った。冒頭に引用したW杯決勝での「進言」シーンが示す通り、川澄には、指示されるのを待つのではなく、「自分で考える」「考えを行動に移す」という習慣が子どものころから自然に培われていたのだ。
「たとえばスキーに行く前の晩、親から言われる前に、用具も着替えも全部自分で用意していました」と守弘さんが言えば、林間SCレモンズの加藤貞行代表も、小学6年生当時の川澄を、懐かしそうに振り返る。
「小学生のサッカー大会では、保護者や指導者たちは大会運営に追われて忙しいんです。そんな時、うちのチームは『ナホ、頼んだぞ』と彼女に伝えるだけで、試合の準備はできました。ナホは対戦相手を観察して、先発メンバーやフォーメーション、戦術までを決めてくれました。試合中に監督に向かって選手交代の指示を出したこともあったぐらいで(笑)。そうやって、子どもたちだけで勝っちゃった試合もあるんです」
■すべて「自分」で生きてきた川澄
先述したとおり、川澄の父・守弘さんは、教員免許を持ちながら教員の道に進まなかった。こうして娘とのエピソードをつむいでいくと、彼の教育方針の根底には、学校体育(および日本の人材育成)が陥ってしまった「マニュアル主義」へのアンチテーゼ(正反対の命題)が浮かび上がってくる。枠にはめて、詰め込んで、言うことを聞かせるのは、スポーツの本来の在り方からも、人が育つ過程からもかけ離れていると、守弘さんは考えているに違いない。事実、彼は世の中に対し、こんな心配を口にする。
「サッカーだけじゃなく、すべての面で親や教師が口を出し過ぎているように思います。それで子どもたちが幸せになっていればいいのですが……」
言うなれば、川澄奈穂美とは、大人が管理しやすいマニュアル教育の対極で、自ら問題意識を持ち、自ら目標を掲げて努力してきた存在だ。だからこそ、自分の長所に自信を持ち、自分の限界を自分で知り、限界を超える解決法も自分で考えることができる。
それは、ただ苦しみに耐えるのではなく、「わたしにはできる」と信じてピッチに立つ、なでしこジャパンのイメージそのものだ。
そして最後に、娘に向けて父は短くエールを送った。
「五輪を楽しんでほしいです。どう準備するかは、昔から娘に任せていますから」
私は部下に
手取り足取り
教えません。
ほとんど答えません。
対応するかもしれませんが。
自分のものにしてやろう
そういう気持ちが大事だと
思います。
そういう部下には
少しずつ
教えてあげます。
鳥のヒナじゃねんだから
何でも
クレクレ
ではダメでしょう。
今日
ある医療機関に行きましたが
マニュアルから降りて
臨機応変に対応しない
ドクターに
ヤキモキいたしました。
こういう
状況判断のできない
人になって欲しくないです。
こういう方が
勉強は出来るが
仕事のできない人。
川澄さんのお父さんの
記事を読んで
あらためて
「教えない」
意味を知りました。